鉄砲とともに伝来したパン。今やご飯をしのぐ国民食に
「ステイホーム」が定着しつつある昨今。マイホームについてじっくり考えるご家族が増えています。せっかくなら、快適な空間で家族一緒に過ごしたいですよね。自宅学習やリモートワーカーとして家で過ごす時間が増えた結果、家の居心地が、勉強や仕事にも大きく影響することを実感したご家族も多いのでは?
また、家で過ごす時間が増えたことで、食卓を家族でゆっくり囲む楽しみを味わえるように。今までは、通勤や通学で慌ただしく家を出ていた方も、朝食をしっかり頂いてから勉強や仕事に取り組む。そんな毎日で、ママにとって嬉しい味方が「パン食」です。和食もいいですが、たまには手早く用意したい日も。そんな日に、手軽に手に入るパンはうってつけです。
パンと言えば、発祥は外国、というのはすぐに想像できますよね。具体的には今から8000年〜6000年ほど前、古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、焼いたものを食べていました。これがパンの原形と言われています。そこから「発酵」によりふんわりしたパンが誕生。やがて日本にももたらされました。
パンと一緒に伝来したのが、「鉄砲」です。社会の授業で習った1549年種子島への鉄砲伝来は、パンが日本にもたらされた時でもあったのです。
その後、パンは戦の「兵糧」という意外なカタチで注目されることになります。
戦争が起こった時に戦場でご飯を炊くと、煙で敵に居場所がわかってしまいます。パンなら軽くて持ち運びがしやすく、ご飯と違って火を焚かなくても食べることができるからです。実際は、想定していた戦争が起こらなかったため「兵糧」として使われることはありませんでしたが、日本でパン作りが始まったのはこれがきっかけです。その後、本格的に日本に広まったのは明治時代。さらに戦後は、小学校でパンと牛乳の学校給食が始まりました。給食でパン食の習慣を身につけた子どもたちが、パンを好んで食べるようになり、次第に日本の食文化にパンが溶け込んでいきました。
毎月12日はパンの日
日本で初めてパンを焼いたのは、伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門と言われています。先ほどお話しに出た「兵糧」として使うため、1842年4月12日に韮山の私邸で試作としてパンを焼きました。このため、彼は「パンの祖」として日本の歴史に名を残すことになりました。
それまでは、鎖国時代の日本でのパン作りは、唯一海外へ開かれていた長崎の出島でのみ、そこに住むオランダ商人のために、パンが焼かれていました。日本人の食卓に上がることはまずありませんでした。
江川太郎左衛門は、「兵糧」用の食材の試行錯誤のため本格的な製パン所を造り、長崎からパン職人を呼び寄せてパンを焼かせました。これが日本人が日本人のために作った初めてのパンとなりました。
結局、戦争は起こらなかったので、パンが兵糧として利用されることはありませんでした。そして、1858年に幕府がアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと修好通商条約を結び開国した後は、欧米諸国から来日する外国人たちのため、居留地のある横浜や長崎や函館でパンづくりが行われるようになり、少しずつ日本人のあいだにもパンが広まっていきました。
江川太郎左衛門が初めてパンを焼いてから約180年。初めてパンを焼いた1842年4月12日を記念して、今でも毎月12日は「パンの日」とされています。
大野城市には「リョーユーパン」がある!
食事だけでなく、甘い菓子パンはおやつ代わりにも重宝されます。住宅地として人気の大野城市には、「リョーユーパン」の工場があります。工場の敷地内には直売店があり、人気の菓子パンや定番パンが購入できます。コロナ禍で営業時間などに変動があるかもしれませんが、早朝から営業しており、結構お得な料金で手に入るそうです。大野城市で暮らせば、混み合う時間をさけて、お得に利用できそうですね。
家探しの際は、ちょっとした周辺情報がとても役に立つことがあります。休日の朝は、家族みんなでパンを買いに行く!というのも楽しそうですね。
まとめ
慌ただしい朝も、菓子パンならお子様の食も進んで、ママも大助かり!菓子パンはママの強い味方です。リョーユーパンの大きな工場がある大野城市や春日市、太宰府市、筑紫野市など、子育てファミリーに人気の福岡南部エリアの不動産情報なら、是非ハウスマーケットへ。最新の不動産情報はもちろん、地域情報などにも精通していますので、安心して家探しをお任せできます。リモート相談なども受け付けていますので、お気軽にお問い合わせください。